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【2024/05/17 05:51 】 |

悟りなんだか何なんだか

前回の座禅会で不可思議な体験をした。

通常の状態では私は前にある畳の面積を実感できる。座禅を行っている部屋には多分4×8枚の畳がある。

そこから、部屋全体のの畳の面積を想像する。

座禅会のある瞬間、私は途中の4×8枚とか途中の過程をすっ飛ばして、部屋全体の畳の<広さ>を直感した。



同席した座禅熟練者は、自宅で座禅を行っている際に庭の松と自分が本質的に同一であるというインスピレーションを受けるそうだ。(ご本人はインスピレーションという言葉は使わなかったが、私にはない語彙だったので失念した)

また、ある本では、山寺で座禅中に山や森と自分はつながっていることを直感的に知った。と著者は初めての座禅によるインスピレーション=空体験を記述している。(空体験の解釈は間違っているかもしれない。初心者なので)



しかし、老人と松。宗教家と森。大変美しい構図ではないか。

俺は畳だった。全くもって凡夫だ。DA 凡夫(ISSAほか3名)。




しょうもないことしか思いつかない。



「バカの壁(養老孟司 著)」に書いてあったが、その道の達人とか天才と言われる人と凡人の間に脳の物質的構成は変わらない。脳神経の信号の伝播速度は同じ。つまり考えるスピードも同じのはずだけれども、天才と凡人の脳の情報処理のスピードは明らかに違う。凡人はA→B→C→D→Eと脳神経が信号をリレーするところを天才はA→Eとショートカットしていると推論していた。(その例として長島チョーさんを挙げているのが、養老先生のおちゃめなところだ。確かに「ボールがきたらぐっとして腰をがっとしてバーンだ」とか言っちゃうのは、ショートカットっぽい。つーか常人には理解できない。)



これは私の推論だけども、座禅によるインスピレーションとはどうも天才と同じ脳の状態になった時に発現するものなのではないだろうか。また、座禅とは、天才と同じ脳の状態を作りだす具体的方法論なのかもしれない。



論理的な思考で、世の事象を全て掘り下げて理解していくには、人生は短すぎる。だから、禅によって結論へ至る思考のスピードを加速するのだ。思考のスピードを最速化した時、その瞬間に<悟る>のかもしれない。

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▼つづきはこちら
【2005/04/11 20:10 】 | | comment(0) | trackback()

雑念について
座禅中に雑念が浮かぶ。大半は、何を投稿しようかな、コメントついたかな、あそこは更新されているかなとかブログに関すること。シリアスな内容の雑念は発生する頻度が低いような気がする。散々考え尽くしているから悩み事は「浮かんでは」出てこないのかもしれない。
【2005/03/22 22:04 】 | | comment(0) | trackback()

座禅会 3
三度目の座禅会に参加。特別ゲストとして老師←よくわからないがえらいお坊さん
が遠方の寺から招かれていた。

ばっしーっとやる罰ゲームみたいなやつ(警策・けいさく)を参加者一同、ここぞとばかりに張り切ってばしばし受けていた。
私は受けなかった、偉いお坊さんからたたかれりゃありがたいなんていうのはちょっとおかしいぞと思ったから。ウソ。びびりだから。

一時間強の座禅の後、老子の講話があった。初心者の多い集まりを意識してか、あえて仏教用語を避けて座禅とは何かというテーマについて話してくれた。
「一言で言えば、心を完全にフリーにして座ること」だそうである。


老師の言うフリーの意味は好き勝手にということではなくて、あらゆる執着とか思い込みから離れるということだな。

あらかじめ、フリー=Free=自由とは何だろうねと考えさせてくれたteruさんに感謝です。
【2005/03/06 22:46 】 | | comment(3) | trackback()

2回目の座禅会
ここに集まる矍鑠とした老人達を見て思う。私はこの人たちのように老成することが出来るのだろうか。
彼らに聞いてみたい「あなたは若い頃、迷っていましたか。惑っていましたか。何時からそのように何かをつかんだような顔になられたのですか。」

場所をわきまえていない質問のような気がして聞けないでいる。
【2005/02/20 22:56 】 | | comment(0) | trackback()

太陽の光は全ての人に暖かい。
当たり前のことを堂々と書くと「悟った」かのように見える。
もちろん私は「悟り」からは程遠いところにいる。そう見えるでしょというお話。
【2005/02/11 09:44 】 | | comment(0) | trackback()

座禅日誌ー四日目
午前5時半に起床し、一時間ほど座禅を行う。
やはり座禅会のときのような覚醒した感覚は得られない。
独学で行うのは難しいのだろうか。
とりあえず、照明を控えめにする、香をたくなど工夫してみよう。
【2005/01/13 09:00 】 | | comment(1) | trackback()

座禅会に参加しました。
セロトニン神経を鍛えるのに有効と言われる座禅を体験すべく座禅会に参加してまいりました。
特定の宗派に入信するというのに、なんとなく抵抗があったので禅寺に行くのではなく座禅を学ぶ人同士の集まりをチョイス。

内容は15分位姿勢・呼吸方法の説明を受けた後、途中に休憩を挟みながら1時間座禅、般若心経を唱える(仏教用語でなんて言うのだろう、聞いたけど忘れた)、再度1時間座禅。最後に20分ぐらいお茶飲みつつ歓談。

うつ対策として有効だという感触があります。なかなかいい。セロトニン云々は、長期的にやってみないとわからないのでなんともいえませんが、リラクゼーション効果というのか...頭がすっきりするという感覚がありました。ほわほわではなくすっきり。
禅歴10年の初老の方に聞きましたが、パニック状態に陥ったときに我にかえる、そういったことが禅の修業を積むうちにできるようになるそうです。非常に興味深いお話でした。自分の感情の暴走を止めるスキルということでしょうからね。しばらく続けようと思います。少なくとも次回、来月の座禅会までは続けよう。ああ、でも早起きできるかな。参加者最高齢の77歳のじさまは毎日、午前3時に起きて2時間ほど座るそうです。

ちなみに、なぜ当会に参加されようと思ったのですか?という問いに対して「セロトニン神経を鍛え平常心を獲得するためです」と答えた私に座禅会の会長さんかなり戸惑っておられました。生化学的なアプローチから座禅やろうとする人に初めて会ったそうです。
へへ初めてだって、ちょっとかっこいいような気がするな僕。
【2005/01/09 22:55 】 | | comment(4) | trackback()

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