私には母の記憶が無い。母が亡くなったのは私が４歳の頃のことで、幼すぎて記憶に残らなかったのだと特に不思議にも思っていなかった。

２年程前に臨床心理士によるカウンセリングを受診するようになって、何度目かのセッションで女性に対する見捨てられ不安を指摘された。

私なりに不安の源はなんなのかを掘り下げていく途中で、自分の母に対する記憶の不自然さに気がついた。
時系列に整理して思い出してみると、母が亡くなる前の記憶もちゃん残っているのだ。向かいの家の高校生のお兄ちゃんに遊んでもらったこと、幼稚園の面接を受けたこと、グレープフルーツに粉砂糖がかかっていて、テーブルにこぼれた粉砂糖を指につけてなめたら甘かったこと。日常のかなり細かいこと出来事まで思い出すことができる。
しかし、グレープフルーツを切ったり粉砂糖をかけてくれたのは母のはずなのに、その姿や声をまったく思い出すことができない。頭に浮かんでくるのは、退色した写真の中の姿だけだ。

恐らく母が亡くなった当時の私は、喪失感を紛らわせるために母の記憶を封印したと考えられる。元々自分には母はいなかったのだと思い込もうとしたというところか。

私のの見捨てられ不安は、女性との別れなどのきっかけで母を失った時の恐怖、痛みを再度意識下で味わう事によると思われる。

結局のところ不安から完全に逃れられてないし、今後もできないであろうけども、自分で不安のからくりをそれなりに理解することができてよかったと思っている。得体の知れない不安より、正体の見えている不安のほうがはるかに耐え易い。