座禅会に行ってきた。(この座禅会は特定の宗派にこだわらず有志が集まって行う同好会のような集まりです。)
座禅の後の茶話(要は懇談会)で気づいたのだけど、この座禅会に古くから参加している人は、禅宗のお寺さんに対しネガティブなイメージを持っている。
座禅会を催したいから本堂を使わせて欲しいとお願いするとほとんどのお寺で断ってくるか、結構なお金を納めなさいとそれとなく要求してくると座禅会の主催者から聞いた。
禅僧はストイックな生活を送っているはずだからそんなに金が必要なわけが無いなんて話をしていた。
もちろん、中には良心的なお寺さんもあって、座禅会ではそういうところの住職に時々講話をお願いしたり、禅堂を貸してもらったりしていて、全てのお寺さんでお金が掛かるというわけではないのだけど。
有名なお寺の住職の講話だから、有名な分沢山お金を払わないといけないという不文律があるんだというのを聞いて、権威に頼っている気がして嫌だな仏教的でないな。と思ったりした。
禅を極めた人は、物事に執着しないのだからお金を沢山欲しがるなんて変だよね。必用経費以外は戴きませんと言って欲しいなあ。有名なお寺さんこそ。
まあ、そんなわけで極低予算で草の根的に成り立っている座禅会なわけだから茶話に出てくるお茶うけも、会員の家庭菜園で採れたキュウリな訳で、そんなに沢山いらんのに若いんだからお代わりしてって言われてもね困るわけで。1本半までは笑顔で食ったけどさ。丸ごとキュウリってストイックにも程がある。あ、マヨがあったらもうちょっと食えたかもしれない。
PR